6:40 宇佐出発 雨 気温16度
7:10 遊歩道入口
8:10 林道終点
9:30 寂地山
9:15 錦ヶ岳(1309ピーク)
10:35 ミノコシ峠
11:00 茅帽子山(右谷山)
11・40 ヤブガ峠
12:10 林道
13:05 宇佐
| 駐車場のルート図 |
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宇佐八幡宮東の駐車場を出発、雨が降りだしそうである。駐車場に登山ルート図がある。寂地峡から上がる茅帽子山(右谷山)と犬戻峡から上がる寂地山がある。犬戻峡の谷は寂地川と呼ぶ。林道を少し上がると、「寂地林道」の標柱が埋まっている。林道を5分ほど上がると、ヤケヤマ谷(寂地峡)と犬戻峡に分岐する。犬戻に沿う寂地林道を上がった。大きな滝を過ぎて、30分ほどで犬戻峡の遊歩道、林道は180度ターンして上がっている。
遊歩道の入口に「犬戻の滝」の説明板があり、ここにある三つの滝のことを「犬戻」といっているようだ。寂地川の本流に犬戻峡、支流に寂地峡があり、あわせて寂地峡と呼んでいる。広義には浦石峡も含めて寂地峡と言うようだ。鎖の手すりがある石の階段を登った。ほどなく滝が連続する。雨で水量が多く見ごたえがある。
滝を過ぎると道標があり、林道まで100m、遊歩道終点まで95mとある。終点まで降りてみたが道はそこまでだった。引き返して舗装されていない林道に出た。林道に寂地山まで3.3kmの道標がある。林道が大きく崩壊し寂地川へ落ちていた。山々は厚い雲がたれ下がり、雨が降り始めた。オオガ谷を過ぎるとスギの巨木地帯に入る。出発から1.5時間ほどで林道終点に到着。林道は寂地山直下へ深く入り込んでいる。ここから山頂まで直線で1km余りである。
メウゼン川に架かる橋を渡り、木の階段を登った。山頂まで1.5kmの道標がある。登山道はスギの樹林帯のヒガシ谷へ入り、再び尾根を登る。スギ林の中に「寂地一級採取林」の標柱があった。この辺りにスギの大木が残っているのは、優良な遺伝子を利用して他の山へ植林しているためのようだ。千両山に「八郎スギ」の「特別母樹林」があり、やはり遺伝子を残している。雨がひどくなってきた。登山者が一人降りて行った。尾根に出ると4人の若者グループとすれ違う。この雨の中を次々と若者グループが尾根を歩いている。聞いてみると来週登山大会があり、多くのグループが合宿しているとのことだった。
| 祠にあるホタテガイ |
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尾根に出てからほどなく山頂。「第十八回山口国体炬火採火之地」の石柱がある。その横に小祠があった。祠の前に針金でくくりつけた「ホタテガイ」が置いてあった。祠とホタテガイと関係あるのだろうか。
「寂地山の山名の初見は『防長地下上申』(1749年・寛延2年)の宇佐郷村絵図と思われる。この絵図は萩藩の絵図方役人が作成した1.5平方もある彩色されたくんせん式地図である。水系や尾根の地形は誤りもあるが地名、山名は読みとれる。ぢゃくじ山は1337m独標峯に記されている」(「西中国山地」桑原良敏)。
雨がますますひどくなる。早々に茅帽子へ向かった。登山道は水路となり、低いところは池になっている。15分ほどで錦ヶ岳(1309ピーク)、ガスの中のブナの樹林帯を歩く。浦石峡からいくつものグループが登ってくる。20人くらいのグループもあった。寂地山から1時間でミノコシ峠、「ブナ植物群落保護林」の看板があり、茅帽子山の先までブナ林のようだ。ここからタイコ谷を降りて寂地峡に出る道がある。道標に「右谷山」まで30分とある。ブナが途中から裁断されていた。若い元気なブナと思われるのだが。
| 茅帽子山 |
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ミノコシから20分ほどで茅帽子山。点名は鳥庭で三等三角点。
「右谷山という呼称はいつ頃から使われだしたのだろうか。ウシロ川上流の右谷という谷の周辺の山林の名として使われたものであろうが『防長風土注進案』の御立山、地下山、山野の項にこの名がない所を見ると、この呼称はそんなに古いものではないと思われる」(「西中国山地」)。
茅帽子山は常国、宇佐・槇原の老人達の呼称である(「西中国山地」)。
| ヤブガ峠 |
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浦石峡へ下った。合宿グループが次々と上がってくる。ガスのヒノキ林の中は暗い。40分ほどでヤブガ峠、小五郎、川津(河津)への道標がある。小五郎へ上がる道はササが茂っている。30分ほどで右谷に架かる橋に出た。「右谷国有林」の看板がある。橋から上がると林道、「寂地峯尾遊歩道入口」の道標がある。林道は右谷へ上がっている。林道を少し下ると「大人の足跡 下木目の滝」の看板がある。谷へ降りてみた。確かに谷を上がる大きな足跡があった。
オソ越を通り、峠口に出た。槇原の集落が眼下に広がっている。「宇佐玉蔵寺」を過ぎると宇佐八幡宮、由緒に「天仁元年(1108)当地の住人常国太郎左衛門尉が豊前国宇佐八幡宮から御分霊をしたのが起こりで…其の後夏焼中ノ御前社附近に奉遷し」たとある。林道に出てから1時間ほどで駐車場に帰着した。
カシミールデータ
総沿面距離15.7km
標高差595m
区間沿面距離
宇佐
↓ 6.6km
寂地山
↓ 3.2km
茅帽子(丸掛山)
↓ 1.5km
ヤブガ峠
↓ 1.5km
林道
↓ 2.9km
宇佐
地名考
●寂地山(ジャクジサン)
冠山の古名はウシロカムリと思われる。アイヌ語で
kamuy-kus-ru kamuy-ru-pes-pe
カムイ・クシ・ル カムイ・ル・ペシ・ペ
熊が・通る・道 熊・道・下る・もの
恐羅漢山はアイヌ語で、
esorokan-ni
エソロカン・ニ
みつばうつぎの山
恐羅漢山の東に天杉山(アマスギヤマ)がある。
am-tu-kus-i
アム・ツ・クシ・イ
寝そべっている・尾根を・通る・もの
寂地山は「アマスギ」ではないかと思われる。
「冠山の西にある広島・島根・山口の県境の峯である1300m峯の山名は、かなり混乱をきたしている。この山名の最も古い資料は『防長地下上申』宇佐郷村絵図(1750年)で雨杉≠ニある」(「西中国山地」)。
『防長風土注進案』(1847年)は寂地山を「雨杉」としている(「西中国山地」)。
寂地山
chasi-pok-kus-nup-san-pet
チャシ・ポク・クシ・ヌプ・サン・ペッ
立岩・下を・通る・野原を・流れ下る・川
| 『防長風土注進案』 「西中国山地」から |
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| 『防長地下上申』宇佐郷村絵図 「西中国山地」から |
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●ボウギのキビレ
冠山と恐羅漢山の共通点に「ボーギのキビレ」がある。
旧国鉄羽幌線の駅名で漁港の「力昼」(リキピル) ri-kipir があり、「高い・崖」の意がある。kipir はキビレと思われる。
「西中国山地」にある「ボーギ」の地名は、
・冠山西のボーキのキビレ 松の木峠(傍示ヶ峠)
・焼杉山西のボーギのキビレ
・大箒山(地籍名は大坊木、古名は大はうき)
・大佐山東の傍示峠
ボーギのキビレはアイヌ語で
pon-ki-nup-pet-kipir
ポン・キ・ヌプ・ペッ・キピリ
小さい・茅・野・沢の・丘
ミノコシ峠は
ミノコシ谷 pi-not-kus-nay
ピ・ノッ・クシ・ナイ
石・崎を・通る・川
恐羅漢山の西の「カマのキビレ」は
o-kama-un-nay-kipir
オ・カマ・ウン・ナイ・キピリ
カメイ谷の・丘
●ウシロ川
ウシロ川は アイヌ語で
o-chiw-ruy-pet
オ・チゥ・ルイ・ペッ
川尻・流れ・強い・沢
茅帽子山(右谷山)に上がるウシロ川に「大人(オオヒト)の足跡」がある。
オオヒトノアシアトは
i-opi-to-un-as-ot-pet
イ・オピ・ト・ウン・アシ・オッ・ペッ
川を・捨てた・池・ある・潅木・多い・川
ウシロ川の浦石峡は地元の人は「大道峡」(オオドウ)と呼んでいる。大道はアイヌ語でオンネ・トウ onne-to
「大きな池」の意がある。アイヌの時代、「大人の足跡」は現在のように流れに没しておらず、岩の池だったようだ。北海道にオンネトーがある。
アベウシの滝は
ar-epew-us-nay-tay-kes
アル・エペゥ・ウシ・ナイ・タイ・ケシ
片方の・オヒョウ・群生する・川の・林・端
横吹山は
o-tapkop-kes-oma-nay
オ・タプコプ・ケシ・オマ・ナイ
そこにある・タンコプ山の・端・にある・川(の山)
小五郎山(コゴロウヤマ)の古名は「宇佐の嶽」(ウサノダケ 1814年)で以下の意。
o-sat-nay-tapkop
オ・サッ・ナイ・タプコプ
宇佐川の・タンコブ山
| 浦石峡の「大人の足跡」(オオヒト) |
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| 宇佐八幡宮 |
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●茅帽子山(カヤボウシヤマ 右谷山)
北海道美唄市の市名の由来は、アイヌ語の「ピパオイ」(カラス貝の多い所)からきている。北海道の下方(ケボウ)、美馬牛(ビバウシ)もカラス貝が多いことから、ケポウ、ケパウ、ケバウ、ビバウシはカラス貝が多いことを表している。
アイヌ語で ケボウ、ビバウシは pipa-us-i と表す。
ピパウシ→ケバウシ→ケボウシ→カヤボウシ の転訛
茅帽子山は「カラス貝の多いウシロ川にある山」の意となる。茅帽子山は pipa-us-i-nupuri と呼ばれていた。茅帽子山は「茅の茂っている山」の意ではないようだ。
あるいは、
kaya-pa-us-i
カヤ・パ・ウシ・イ
帆(崖)の・上手に・ある・もの(山)(竜ケタキの上手)
●智元の丸子
si-kene-pet
シ・ケネ・ペッ
本当の・ハンノキ・川
智元の丸子
kene-pet-nupuri-osmak-ru-kot
ケネ・ペッ・ヌプリ・オシマク・ル・コッ
チゲン谷の・山の・後ろ・道・沢
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